ドラス部族の刈入れ(西ヒマラヤ)
P120号 油彩、キャンバス 1982年 立川市
宮城 音蔵(1921-2004)
東京府立第二中学校(現・都立立川高等学校)在学中、美術の担任だった春陽会の画家倉田三郎のもとで絵の指導を受けた。父の病気や太平洋戦争の勃発、戦時中の負傷、様々な苦難を経ても、なお美術への情熱が消えなかった作者は、26歳にして造形美術学園(現・武蔵野美術大学)に入学する。29 歳の時に、立川美術展を開き、以後出品を続ける。50 代以降はヨーロッパ、アジアを周遊し、60 歳を過ぎるとチベットやネパールを題材とする作品を次々と発表した。荘厳な大自然を表すように巨大な画面に筆を振るう迫力と、その土地で働き、生活する人々に向ける繊細なまなざしが、絵の中で共存し、作品をより奥行のあるものにしている。
ドラス部族の刈入れ(西ヒマラヤ)
P120号 油彩、キャンバス 1982年 立川市
宮城 音蔵(1921-2004)
東京府立第二中学校(現・都立立川高等学校)在学中、美術の担任だった春陽会の画家倉田三郎のもとで絵の指導を受けた。父の病気や太平洋戦争の勃発、戦時中の負傷、様々な苦難を経ても、なお美術への情熱が消えなかった作者は、26歳にして造形美術学園(現・武蔵野美術大学)に入学する。29 歳の時に、立川美術展を開き、以後出品を続ける。50 代以降はヨーロッパ、アジアを周遊し、60 歳を過ぎるとチベットやネパールを題材とする作品を次々と発表した。荘厳な大自然を表すように巨大な画面に筆を振るう迫力と、その土地で働き、生活する人々に向ける繊細なまなざしが、絵の中で共存し、作品をより奥行のあるものにしている。